社外取教訓#11:委員会に必要なルール

ライブドア社で社外取締役に就任してすぐに、M&Aやファイナンスなど粒度の細かなことを統括する「(諮問)委員会」を取締役会に設置することを提案しました。取締役全員が細部まで監督する必要はないと考えたからです。 しかし、新任の社外取締役間で信頼関係が希薄だったこともあり、誰もがすべての委員会のメンバーになりたがり、それを拒むことはできませんでした。その結果、(皆が参加する)「委員会」は正式な「取締役会」ではないがために、委員会の重要な議論が正式な取締役会議事録に必ずしも反映されなくなってしまったのでした。提案したときにはそんなつもりはなかったのに。

2007年当時の私はまだまだ社外取締役として未熟でした。 取締役会の役割と義務を定めた「規則」を定め、記録保存のルールや手続きについて前もって合意しておかなければ、記録保存はほとんど行われないかもしれないと、そのとき気づいたのです。 あるいは、記録が残されていても、作成者が恣意的に選択した議題や内容が記録されるだけ、ということもありえます。問題を把握した時点では、過去の議論をちゃんと残すようにお願いするには遅すぎました。英語で言うところの”the cat was out of the bag”(取り返しがつかないことがもう起きてしまった )という表現がまさしく当てはまる状況です。私はこのことで、全員が同意する(つまり納得する)議事録を作る必要のない「任意」の委員会を作ることの弊害を学びました。

社外取教訓#10:取締役が梶をとること

ライブドアの場合、私が役員になる前から、最終的には会社を清算しなければならない可能性が高いことは明らかでした。 何年前からにポータルサイトの運営だけでなく、多くの企業を買収していましたが、それぞれのビジネスの間ではシナジーはなく、子会社に対する監視もほとんどありませんでした。まともな企業戦略もなく、事件によってブランドネームも失墜していました。むしろ、ライブドアの社名を冠していることで、ビジネスを獲得するという点で、事業や子会社の価値をある程度下げてしまっていました。

しかも、上場廃止されたため、株主は皆、売れない株を持ったままになっており、怒り心頭でした。同社が起訴された刑事事件では、有罪の可能性が高かったのです。 これにより、多くの個人や機関投資家の株主が、すでに原告が非常に簡単かつ低コストで訴えることができる証券取引法第21条の2に基づく民事上の損害賠償を、従来よりもさらに容易に行うことができるようになりそうでした。

社外取教訓#9:CEOの交代・選定

もしあなたが「社外取教訓#8:役員会の役割」で述べたような、CEOを解任しなければならないような状況に陥った場合、どうすれば良いでしょうか。まず初めに、株主総会よりも前の時点で、投資家が後任のCEOとして望んでいる(と思われる)人物に会いに行きます。その人が本当にそのポジションに就きたいのか、その理由は何なのか、どのようにリーダーとして舵を取るつもりなのか、尋ねることから始めてみましょう。CEOはどんな時だって大変な仕事で、他の仕事もあればなおさらです。はっきりした答えが返ってこないかもしれないし、消極的な合図を送ってくるかもしれません。それ自体、重要な情報なのです。

次に、日本ではほとんどの場合、株主総会の直後に取締役会が開催され、すぐさまCEOの選定(または再選定)やその他の決定事項を済ませます。代表取締役(CEO)は後でいつでも変更できますが、従前の代表取締役が任期満了後に取締役として再任された場合、その人をCEOに再び選定するか、別の人を選定するか、あるいはもう一人別の人に「代表取締役」の肩書を与えるかを決めなければなりません。すぐに選定しないと、法的に会社を率いる代表取締役がいなくなってしまいます。

社外取教訓#8:役員会の役割

2006年12月のライブドア総会の前、新たに指名されたもう一人の「独立取締役」の一人から、「もし選任されたら、現CEOの解任に賛成するか」と聞かれました。私は、「まだ取締役ではないし、CEOのパフォーマンスを含め、会社の内部で起こっていることを知らないので、その質問には答えられない」と答えました。

それに対して、この取締役候補は「しかし、株主がそれを望むのであれば、彼を解任しないわけにはいかないのではないか」と聞いてきました。

確かに私たちを取締役候補に指名したヘッジファンドなどのグループは、おそらく株式の過半数を持っており、そのうち幾つかのファンドが、現CEOを辞めさせることに全員が合意していると主張していました。でも、私は同意したという株主全てが記載された書面も見たことがなく、また、この要求は2~3人の個人からしか聞いていませんでした。

このようなケースでは、取締役としていくつかのことを同時に考えなければなりません。 第一に、取締役に選任された場合、株主は取締役会が行わなければならないさまざまな意思決定に参加する権限を取締役に完全に委ねることになります。 なぜなら、状況は変化する可能性があり、株主は最新の状況をリアルタイムで(または100%正確に)知っているわけではないからです。 新しい状況や情報は、非常に機密性が高く、かつ非常に重要なものである可能性があります。 取締役は、「株主から指示を受ける」ではなく、自分で考えて会社にとって最善のことをするために、常に最善の判断を下す義務を負っているのです。取締役には、そのための完全な裁量が与えられているのです。

社外取教訓#7:D&O保険がなければ自分で用意

2006年末のライブドア株主総会の招集通知に私は取締役候補者として記載されましたが、私の理解する限り、指名にあたっては私の同意を得ていません。予め面接を受けたのは事実です。面接から6週間後にまだ興味があるかメールで聞かれ、「興味がある」と返信しただけで、「やります」とは言っていません。でも、同意を得たかどうかよりも私にとってはるかに重要だったのは、私が明確に提示した条件のうち、ライブドアが動く必要のあった報酬の明示とD&O保険の確約という2つの件が全く実行されていなかったことでした。

D&O保険については、ライブドアが日本国内の20社以上の保険会社に尋ねて加入しようとしたが全て断られたと、同社の「顧問」から聞かされました。「保険ブローカーには頼みましたか」と尋ねると、日本語で「そんなことを言うのは失礼だ」と怒られ、「可能な限り手は尽くしました」と言われました。 私は、「これは私だけではなく、役員全員を守るためのものです。総会当日にD&O保険がなければ、私は取締役になるつもりはありません」と伝えました。
ライブドアが「嵐」に突入していくことは明らかであり、もちろん取締役として悪いことをするつもりはなかったのですが、何かが起らないとも限りません。D&O保険が最も必要な理由の1つは、万が一、不当な訴訟を起こされた場合の弁護士費用をカバーすることです。 それがないと、裁判で勝っても莫大な費用負担が残ってしまいます。

社外取教訓#6:完全な独立性を確保

2006年春にライブドアが上場廃止になったとき、その株主構成が突然大きな問題になりました。 なぜか? ライブドアの株式の大半は、海外のヘッジファンドを中心とした複数のファンドが保有していました。いくつものファンドが、まさかこんなに早く上場廃止になるとは思ってもみなかったので、「未公開株」として売れなくなってしまい大層ご立腹でした。かたや国内の一般機関投資家や、いくつかの事業会社も保有してました。残りの部分は多数の個人投資家が保有しており、この会社が株式分割を何度も行っていたため株価が低く、買いやすく割安に見えたため、限りある貯金の大部分を使ってライブドアの株を購入した個人が多数含まれていました。

会社としてのブランドと社会的な「営業許可証」が事実上無価値になったことで、会社は大混乱に陥り、株式を売却する方法が突如として消えてしまい、皆が怒っていました。ヘッジファンドの中には、日本について何も知らないような、世界規模のファンドほどは評判の高くないものも混じっていました。 彼らは何度も会合を開き、会社を清算するかどうか、どのように、いつ清算するかについて合意しようとしましたが、資産の売却方法や、どのファンドが自社のパートナーをライブドアの取締役として任命するかといった詳細についてまったく合意できませんでした。彼らは大きな課題について投資先企業に対して要求することに慣れていましたが、ライブドアの場合にはうまく行きませんでした。それでもファンド間で合意できたのは、招聘されたCEOのパフォーマンスに不満があること、その理由は彼のM&Aの経験が少ないというものでした。

社外取教訓#5:内部通報窓口としての存在

私が社外取締役を務めていたある会社では、取締役会事務局と密に連携する管理部門の方々と良好な関係を築けていました。彼らは皆、私のメールアドレスを知っていました。

ある日、管理部門の方から内密に話をしたいと誘われてランチに行くと、 管理部門の方が2名で現れました。 聞くと、シニアマネージャー(Xさん)がある女性に対して何度も不適切な発言をしている、つまりある種のセクハラをしているという告発でした。問題は、Xさんが企画部門の責任者であるのみならず優秀であり、当時は非常に重要な取引を担当していたため、経験や知識を兼ね備えた後任をすぐに採用できないということでした。そのことを、その女性も知っていたため、会社を巻き込んだトラブルになったり、Xさんへの処罰は他の従業員の知るところとなるので望んでいませんでした。 彼女はただ、できるだけ静かに、不適切なコメントをやめてほしかったのです。

私はCEOのところに行き、私が聞いていることを伝えた上で、「Xさんと話をしてもらえませんか?何が真実かわかりませんが、疑惑があることをほのめかせば、実際に何かが起こっているのであればきっとやめてくれるはずです。」と。しかし、 数週間が経ってもX氏の行動は何も変わっていないことを、ランチで話した2名から知らされました。 そこで私は、再び社長のもとへ行き、聞いた話を伝えました。 そして、「彼の行動をやめさせなければ、次の取締役会でこの件を取り上げます」と伝えました。

社外取教訓#4:会社を潰すよりヒドいこと

今回は、日本の中堅企業であればどこで起きてもおかしくないようなことを取り上げます。貴方はある会社の社外取締役になりました。社長(C氏)は創業者の息子です。 彼は職人肌のエンジニアで、高齢になった創業者である父の後を継いで社長になりました。彼は本当に親切で優しく、素敵な人でしたが、経営者としてはまだ経験不足で、技術革新の時代に将来を決するような、リーダーシップを発揮できる性格も持ち合わせていません。会社のためを考えると、彼には退任してもらって、外部から経験豊富で決断力のある人を探してくる必要があることは明らかでした。

社外取締役である貴方に課せられた仕事は、穏便に、物腰柔らかくCEOを説得し、退任させることです。例えばですが、レストランの個室で彼と食事をし、最初の2時間ほどは、会社が直面しているあらゆる戦略的課題について話し合います。その後で「この状況で会社を引っ張っていく自信がありますか?」と尋ねます。Cさんはとても素直な良い方ですので、「いいえ、自信はありません。」と答えるでしょう。貴方は「それなら、貴方は社長にふさわしい人ではありません」と答えます。彼は反論しません。父親が望んだから社長になったのであり、経営について何かプランをもって、社長になりたくて社長になったのではない、ということがよく伝わってきます。彼が本当にやりたいのは、より良い製品を作るための技術的なディテールの探求に戻ることなのです。

社外取教訓#3:こんなにも早く会社が倒産するのか(!)

アルプス社は、売上高の増加に伴い、増加する運転資金を銀行からの借り入れで賄っていました。しかし、どこの銀行も小さな会社の「メインバンク」にはなりたがらないのです。そこで、1年ごとに2億円以上ずつ貸してくれる銀行を増やしていき、6、7行にもなっていたかと思います。これらの融資はすべて短期で、毎年ロールオーバーする必要がありました。

すべての銀行が毎年ローンをロールオーバーし、必要な際に新しい銀行を見つけることができれば、取締役会にとってはすべてがうまくいくように思えました。

しかし、書籍ビジネスの現実として、地図などの出版社は、特に2000年代前半は、書籍卸業者に本を完全に「売る」ことはしていませんでした。出版社は、一種の委託販売制度を使っていました。このシステムにおいて、アルプス社は、卸売業者や書店に本を渡す際に売上を計上し、過去の経験から見積もって売れずに返品されそうな本の割合を使って引当金を同時に計上していました。

売れ残った本が本屋などから返品されるまで、つまり「期待どおり売れていない」という情報がわかるまで、長い時間がかかりました。そして、実際に返品された本の割合(「返品率」)が増えると、その額が積立金よりも多くなってしまい、その超過分のほど売上を減らさなければならなくなりました。

このような状況に役員会は怯え、突然私に「ヤフーにまだ会社を買いたいかどうか聞いてくれ」と頼んできました。もちろんヤフーは、この先どうなるかは容易に予想できたので、「今の時点では買う気はない」と答えました。そして或る銀行に融資のロールオーバーを拒否されました。アルプス社は、代わりの融資先を見つけることができませんでした。

社外取教訓#2:社外取締役として初めて経験したこと

なぜ、社内外取締役の育成が日本の将来にとって重要だと思うのか。それは、私が日本では取締役会がうまく機能しないときに、舞台裏で何が起こっているのか、どんな損失や痛みが生じているのか、たくさん見てきたからです。私は、英語で言うところの「傷跡」がたくさんあります。 本当に興味深いのは、ガバナンスが不十分な原因には多くの共通点があることです。 会社の規模や業種は関係ないようです。トルストイの言葉の真逆で、「成功する日本の取締役会はすべて違うように成功するが、失敗する取締役会はすべて同じように失敗する」ように感じます。だとしたら、ガバナンスの失敗を避けるのはそんなに難しくないように思います。

私が日本で初めて社外取締役を経験したのは2000年、当時率いていたM&Aアドバイザリーブティック、株式会社JTPが地図データをマーケティング等を使うソフトを売っていた米国のMapInfo社に対して、名古屋のアルプス社による25%の増資および戦略的提携の締結について助言したことに始まります。 アルプス社は、当時国内第3位の地図出版社で、未上場企業でしたが、将来的にIPOをする予定でした。MapInfo社には日本人従業員もいなかったので、私はMapInfo社だけでなく、他の株主の利害も守るために、MapInfo社にアルプス社の社外取締役に指名されました。