若手社員は真の資本を重視 日本企業の株主とは、どのような人々だろうか。イメージとしては強欲な“モノ言う”外国人投資家なのだが、長年にわたって築いた業務成果のうま味のみを奪い取るという、あまりよくないものだ。こういった悪役をつくり出すことは容易なのかもしれないが、これは現実とは多少異なる。実際、企業のステークホルダーの中で、外国人投資家と同じような考えをもってもおかしくない人々が存在する。
主な例として、新入社員や若手の従業員が挙げられるだろう。彼らこそ、企業の未来そのものであり、彼らの将来は、所属する企業がいかに新たな投資機会を見つけ、十分な投資リターンをもたらすかにかかっている。その意味で、かなりのリスクを取っており、株主と同じ視点をもつと言える。
こうした見方は、マルクス経済学には反するのかもしれない。だが、equity(資本株式)の本来の意味を考えれば、筋の通った考えだと言えるのではないだろうか。すなわち、資本とは資産から負債を差し引いた差額である。
従業員は、企業が生み出した付加価値から、労働に対する対価を受け取る権利があるわけだが、日本の人事構造のもとでは、長年働いてきた社員が、賃金や待遇において優位な立場にあり、退職時にはかなりの退職金が支払われる。このようなことを考慮した場合、若手社員は賃金の授受に関して不利な立場にあることから、給与額よりも企業の“真の資本”を重視しているのではないだろうか。
しかし、若手社員も時がたてばシニア社員になる。彼らが真の資本への興味を失い、より優位な賃金へと引き換えていくことで、次第にDebt-Equity swap、すなわち会社にとってのequityがdebt(債務)に変わっていく。この循環は社員の世代交代とともに繰り返される。
日本の長期的視点に矛盾
新しい世代の社員は、自分が退職するときまで、企業の競争力が続くことを期待しているはずだ。現時点で厚い内部留保があっても、当てにはできない。しかし、それを管理するのはしばしばシニア社員であり、彼らは自らの利益を危険にさらすようなリスクは取りたがらないものである。彼らの立場に立てば、この行動も仕方がない。リスクを取った結果が成功しても、上限は高まらないどころか、失敗すれば退職金を受け取れないかもしれないのだから。だが若手社員にしてみれば、上の世代が新たな成長機会を十分に生み出す投資をしないのは、空っぽの戸棚を引き継がされるようなものである。
これに関連し、日本企業のコーポレートガバナンスには、重大な矛盾が存在すると指摘したい。日本企業の経営では、長期的な視点をもっていることが評価されてきた。しかし、これは単純に称賛すべき考え方ではない。もし、長期的視点という題目でシニア社員がリスクを極端に回避すると、次世代の社員の利益が犠牲になり、ひいては国の将来を損なうことになりかねない。現在の事業に投資することによりリターンを生みだそうとしない企業は、再投資、または株主に利益を還元すべきである。そうすれば、資本は再配分される。もちろん年金は支払われ、契約上の義務は果たせなければならないが、現在の内部留保は過去の功績への報酬を支払うためのものではない。過去の功績に対する報酬は、その時点の費用計算ですでに織り込まれている。過去の業績に報いる代わりに、余剰資本は生産的な使途へ振り向けられるべきだ。さもなければ、若手社員がシニア社員になったとき、コストを支払うのに十分な経済活動が続けられない。
人的資本から財務資本を生み出す
長期にわたって働く若手社員は、シニア社員とは異なる立場にある。彼らには、株主のように考えて行動してほしい。 金融資本市場と同様、労働市場でも優れた人材は、成長力の高い企業に分配される必要がある。若手社員は、初任給や現在の資本力だけを見ていてはいけない。企業の将来を考えるべきだ。社会が職業の安定を重視するのは大切だが、それだけでは経済の「パイ」を大きくしない、リスク回避的な企業ばかりが増えてしまうだろう。
一般的に、余剰資本のある企業は、あまり魅力的な再投資を行う努力をしていない。もし財務資本が活用されていないのなら、人的資本も開発されていないと思われる。若手社員は長期的視点で戦う必要がある。だからこそ、自身の人的資本を開発し、それにより、財務資本を生み出せるようにすべきなのだ。
一方、経営陣や幹部は何をすべきだろうか。彼らは若手社員の利益を考えて事業を経営すべきだ。新卒者の人数が減るにつれて、労働力のプールはどんどん縮小し、才能あふれた若者を獲得する競争は激化していく。諸手当で社員をひきつけることだけでは、希望にかなう人材を集めることは難しい。将来有望な人材は以下のような特徴の企業に魅力を感じている。
1)新しいアイデアを呼び起こし、リスクを定量的に取ることのできる環境
2)人的資本と財務資本を合理的に配分することが可能な環境
3)利益ある成長を生み、いつでも人的資本と財務資本を獲得できる強力なビジネスモデルをもつ
シニア社員にとっては、債権者のような考えが、合理的に見えるだろう。彼らは、以前に約束されたことを現実化することで頭がいっぱいであり、それが「契約」を交わした人としては、当然の行動だからだ。しかし、新人で将来有望な社員は債権者のような考え方をする余裕はない。責任ある上級管理職の社員も同様だ。彼らは、人的資本を成長させるような機会を見つけなければならない。これは、成長をもたらすためにリスクを進んで取る環境に恵まれた企業をつくることにほかならない。
その意味で、若手社員と投資家には共通点がある。取ったリスクが十分なリターンによって報われるのかを見極める必要があるからだ。ただ投資家なら、リスクの相関が低い銘柄を選んでポートフォリオを組むことができるが、従業員は勤務先のポートフォリオを組むことはできない。働く場所は一つしか選べず、リスクヘッジはできない。
過度のリスク回避がデフレを生む
行き過ぎたリスク回避は、日本のデフレ経済が深刻化した重要な原因だろう。資本は生産的な使途に投じられることなく、「キャリートレード」のために国外に流出するばかりだった。国債に資金が流れたが、利回りを下げるだけだった。生産を目的とする投資は国内に対してはなかったし、景気が減速するとともに個人消費も頭打ちとなり、デフレスパイラルが続いている。こうして循環的に投資がされなくなってしまったことは、さらに個人消費を押さえつけている。
デフレ時代に利益を生みそうにない投資に走るのではなく、座して待つことはミクロ経済的には合理的判断だった。しかし今日のエネルギー価格と原材料高を見れば、それは過去の話である。われわれはディスインフレーションにシフトし、貨幣の価値が下落するインフレーションに陥りつつある。企業は、自らが成長するか、成長する企業に投資するかを決める時代に入った。個人も同様で、企業も消費者も、お金を出すことを始めない限り、日本はスタグフレーションの罠にはまってしまうだろう。これは、企業にとっての立場には関係なく、すべてのステークホルダーにとって好ましくない事態であろう。」
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(山田功治様の記事)