ゴーン氏と日産は有価証券報告書虚偽記載罪で起訴されている。金融商品取引法は、有価証券虚偽記載行為について、刑事責任の他に民事の賠償責任も規定する。日産は、遠からず、投資家から損害賠償を求める民事訴訟に直面するだろう。民事訴訟で予想される争点の1つに「重要性」がある。金融商品取引法は重要な事項の不実記載を虚偽記載として問題視し、軽微なものは等閑視する。
ゴーン氏は、年間約20億円の報酬を10億円と過少に記載し、これを2011年から2015年まで5年間続けた。残りの10億円は将来支払われる金額だが、これも記載すべきであった、というのが検察側の主張である。年間10億円、5年間で50億円は重要な事項だろうか。
これまでの裁判例では虚偽記載には2種類あった。1つ目は、財務諸表上の虚偽記載である。よくあるパターンで、ライブドア、オリンパス、東芝などがこれに当たる。2つ目は、上場基準に関する虚偽記載である。西武鉄道で問題になったが、その他には例がない。西武鉄道には名前だけの株主が多数いて、創業家の保有する株式を少なく見せることで、上場基準を満たすことを装っていた。
上述した1つ目の財務諸表上の虚偽記載は、金額の多寡で重要性が決まると言って良い。架空売上があっても10円だったら、虚偽記載にはならない。しかし、ライブドアやオリンパス事件では、不実記載の金額が営業利益や純利益との比較で高額であったから、重要事項に関する虚偽記載だとされた。損害額の基準は、虚偽記載によって膨らんでいた株価となった。上述した2つ目の虚偽記載は、金額の多寡では重要性が決まらないし、元来、記載内容に金額がない。西武鉄道事件では、この不実記載は深刻なものとして捉えられた。投資家は西武鉄道が上場会社だから株式を買ったのであり、非上場の同族企業の株式など誰も買おうとしないし、たとえ買いたいと思っても非上場では買えない。裁判所は、投資家は虚偽記載がなければ株式を購入しなかったはずである、と考えた。投資家はより手厚く救済され、損害賠償額の基準は、購入価格—処分価格となった。
ゴーン氏の報酬過少記載で、日産の財務数字が歪んでいるのかは、不明である。日産とゴーン氏との間には報酬契約があり、報酬の支払時期は契約当事者が自由に定められる。会計基準が将来の支払について債務認識や引当を要求するのに、これらがなされていないのであれば、財務数字が歪んでいることになる。ここでは、これらは要求されていないと仮定すると、財務数字は正しいことになる。ただ、有価証券報告書には経営陣の報酬を書く欄がある。日産の場合、次のように記載されている。
(2015年3月期有報より)
当社の取締役に対する報酬は、平成15年6月19日開催の第104回定時株主総会において決議されたとおり、確定額金銭報酬と株価連動型インセンティブ受領権から構成されている。確定額金銭報酬は、平成20年6月25日開催 の第109回定時株主総会の決議により年額29億9,000万円以内とされており、その範囲内で、企業報酬のコンサルタント、タワーズワトソン社による大手の多国籍企業の役員報酬のベンチマーク結果を参考に、個々の役員の会社業績に対する貢献により、それぞれの役員報酬が決定される。
一方、株価連動型インセンティブ受領権は、当社の持続的な利益ある成長に対する取締役の意欲を一層高めることを目的としており、会社のビジネスプランに直接連動した目標を達成することにより付与される。株価連動型インセンティブ受領権は、平成25年6月25日開催の第114回定時株主総会の決議により、年間付与総数の上限を当社普通株式600万株相当数としている。
監査役に対する報酬は、平成17年6月21日開催の第106回定時株主総会の決議により年額1億2,000万円以内とされており、その範囲内で監査役がより安定的に透明性の高い監査機能を果たすことを促進することを基本とした運用を行っている。
当事業年度の取締役及び監査役に支払われた報酬は以下の通りである。
<役員区分ごとの報酬等の総額等> (単位:百万円)
区分 | 総報酬 | 金銭報酬 | 株価連動型インセンティブ受領権 | 人数 |
取締役(社外取締役を除く) | 1,635 | 1,459 | 176 | 10 |
監査役(社外監査役を除く) | 28 | 28 | ― | 2 |
社外役員 | 72 | 72 | ― | 5 |
<役員ごとの連結報酬等の総額等 但し連結報酬等の総額1億円以上である者> (単位:百万円)
氏名 | 役員区分 | 会社区分 | 総報酬 | 金銭報酬 | 株価連動型インセンティブ受領権 |
カルロス ゴーン | 取締役 | 当社 | 1,035 | 1,035 | ― |
西川 廣人 | 取締役 | 当社 | 155 | 140 | 15 |
(注) 株価連動型インセンティブ受領権の上記金額は平成27年3月31日時点の株価を用いて算定した公正価額に基づき、当事業年度に計上した会計上の費用を記載している。 この公正価額で、支払いが確定されたものではない。
<役員報酬の決定方法>
取締役の報酬については、取締役会議長が、各取締役の報酬について定めた契約、業績、第三者による役員に関する報酬のベンチマーク結果を参考に、代表取締役と協議の上、決定する。
(有報おわり)
上記の欄に将来支払われる報酬10億円が記載されていないことが、重要であり、虚偽記載であるというのが、検察側の主張であるようだ。まず金額の多寡で重要かを考えてみよう。日産の201年の連結営業利益を見ると、457十億円であるから、その457分の1である1十億円は多額ではないと言えるかもしれない。しかし、20億円と記載すべきところをその半分もの部分を隠蔽したのであれば、それは多額であると言うこともできるだろう。
また、量ではなく質の問題だと主張する者もいるかもしれない。株主は経営陣に会社経営を委託し、経営陣は会社に対して忠実義務を負っている。報酬契約は株主と経営陣の間の重要な約束事である。株主は普通、報酬契約の具体的な内容を知ることはできないから有価証券報告書の記載だけが頼りだ。経営陣の高額報酬に向けられる関心が高いからこそ、有価証券報告書の様式が変更され、報酬の開示が充実することになった。ゴーン氏は刑事責任を問われるリスクを冒してまで、開示を避けたいほどに重要と考えた。こう考えると、報酬欄の情報は、その性質からして重要であり、金額の多寡は関係がない。
重要か否か、最終的には裁判所の認定を待つほかない。しかし、情報の重要性は、情報の利用者の利用方法によって決まるべきだろう。投資家は報酬情報で投資判断を変えるだろうか。分散投資、パッシブ投資、アルゴリズム取引をする投資家にとって、経営陣の報酬情報の意味は小さいように思える。重要性の他に、取引因果関係として議論されても良いだろう。経営陣の報酬情報が、投資家の行動にどれほど影響するのか、裁判で十分議論されることを期待する。以上
市川佐知子:田辺総合法律事務所パートナー。弁護士(日本・NY)。公認会計士(US)。複数の有価証券報告書虚偽記載事件を担当し、訴訟における争点や損害額立証の議論に詳しい。この知見を元に、企業や役員の開示責任についてアドバイスを行う。