東電の原発問題で、1つ不思議なことがある。同社のガバナンスがあまり議論されていないことだ。
一見すると、今はもっと優先順位の高い課題があるように見える。また、ガバナンスは万能ではないという異論もあろう。しかし、そうではない。いま東電のガバナンスを論じることが必要なのだ。
今一番大切なのは、福島第一原発を安全に停止させることだ。これには、もちろんガバナンスは関係ない。
しかし、それと時間的には並行して、今回の事故による被害者の方々への損害賠償スキームを考えるときには、ガバナンスの議論は避けて通れないはずである(もちろん、ガバナンス論が一番大切だとか、ほかに論点が無いというつもりは無い)。
ここでいう(コーポレート・)ガバナンスとは、社外取締役を増やすとか委員会設置会社に移行するという話ではない。これらは「手段」にすぎない。ここで論じるべきは、「経営陣がリスク管理のための知見を備えること」「実際にリスク管理の知見が発揮されるような組織を作ること」である。
断言はしてはならないが、東電の役員人事が年功序列になっていることや、原発事故後の対応を見たところの印象では、東電には十分なリスク管理の仕組みが備わっていないのではないか、東電の役員や管理職にはリスク管理の動機付けが十分にはなされていないのではないか、という疑いがある。そうであれば、狭い意味での(理系的な)事故の原因の究明に加えて、(文系的な)リスク管理体制の不備の究明と、その改善策が論じられなければならない。
現在、メディアや永田町では、東電を公的管理するのか(政府案)、それとも破綻処理(会社更生)するのかが華々しく論じられている。その動機は純粋な正義感から出ていると想像するが、客観的に見れば政争や売名行為に過ぎないようにも感じられる。将来の見通しなき「東電叩き」は、安全確保にも電力利用者の利便性の向上にも国庫負担の軽減にもそれほど役立たないからである。
補償スキームの設計・東電改革の議論においては、ガバナンスの向上(本当の意味でのリスク管理体制の確保)への留意がなされることを望みたい。