オリンパス事件を参考に考える公益通報者保護法改正案

現行の公益通報者保護法は2004年に制定、2006年に施行された。三菱自動車によるリコール隠しや雪印食品による牛肉産地偽装がきっかけになったと言われている。しかし、施行当初から、その保護対象事実の狭さや、報復禁止の実効性の乏しさなど、不十分さが指摘されていた。国会の付帯決議や法律の附則に基づき、消費者委員会公益通報者保護専門調査会が設置され、改正議論がなされていたが、その速度は遅々としたものであった。2018年12月に同調査会報告書がようやくまとまり、対象となる法律を定める別表についてのパブリックコメント募集を経て、2020年3月9日に改正法案が閣議決定を受け、国会に上程される運びとなった。

法案の主な改正点には、次のようなものが含まれる。

  • 公益通報者に企業の役員(取締役、執行役、会計参与、監査役等)や退職後1年以内の労働者を加える(2条1項4号)。
  • 行政機関等や報道機関等への通報が保護される場合を拡大する。
  • 解任された役員から、企業への損害賠償請求が可能である場合の要件を定める(6条)。
  • 公益通報を理由とした損害賠償責任を公益通報者が負わない旨を定める(7条)。
  • 企業に内部通報体制の整備を義務付ける(11条)。
  • 公益通報対応業務従事者に守秘義務を課し、違反行為に罰金を科す(12条、21条)。

ここでは、企業の取締役及び監査役(以下合わせて「企業役員」とする。)の立場から、改正法案の各条項がどのように機能するか、概観してみたい。

6条は、企業役員からの公益通報をおおよそ、企業に対する内部通報(1号)、行政機関等に対する外部通報(2号)及び報道機関等に対する外部通報(3号)に分け、次のように規定する。

  • 1号通報を行なったことを理由に企業役員が解任された場合、企業役員は解任によって生じた損害を賠償請求することができる。企業役員は、通報対象事実の発生又は切迫を思料すれば良い。
  • 2号通報を行なった企業役員が損害の賠償を受けるためには、「思料」だけでは足りない。①「調査是正措置」をとる努力をして、それでもなお②通報対象事実が発生又は切迫すると信ずる「相当の理由」が必要となる(2号イ)。あるいは、②通報対象事実の発生又は切迫の「相当の理由」があり、かつ③個人の生命、身体若しくは財産への被害が発生し、若しくは急迫の危険があると信ずるに足りる「相当の理由」が必要である(2号ロ)。
  • ②及び③の「相当の理由」が揃えば、企業役員は、3号通報を行なっても損害の賠償を受けることができる(3号ロ)。しかし、①「調査是正措置」及び②の「相当の理由」だけでは、3号通報には足りない。 (a)他の通報をすれば不利益取扱いを受けると信ずる「相当の理由」、(b)内部通報では証拠隠滅されると信ずる「相当の理由」、(c)企業から公益通報しないことを正当理由なく要求される事実、のいずれかが追加的に必要となる(3号イ )。

損害賠償請求が可能となるための保護要件をまとめたのが、下表である。

  通報対象事実の 発生・切迫 調査是正措置 個人の命体財の 被害・急迫 その他 (特定事由)
1号通報 思料      
2号イ通報     信ずるに足りる 相当の理由 (真実相当性) 必要    
2号ロ通報  

3号ロ通報
真実相当性   信ずるに足りる 相当の理由  
3号イ 通報 真実相当性 必要   不利益取扱い 信ずるに足りる相当の理由

証拠隠滅 信ずるに足りる 相当の理由

不当要求

オリンパス事件を改変単純化して、次のような設例を考えてみる。英国子会社Y社の社長であったA氏は、抜擢されて東京本社X社の代表取締役社長に就任した。その直前、X社が損失隠しをしている、その協力者は反社会的勢力であるとするスクープ記事をある雑誌社が発行した。A氏はこれを知り、PWCに調査を依頼したところ、記事は真実である可能性が高いが、内部調査をしないと断定は難しいとの結論であった。A氏は会長その他の役員にメールで記事の真偽を質し、内部調査して真偽を確かめなければ監査法人に質すと詰め寄った。会長はA氏に猛反対し、X社取締役会を招集し、「独断専行」であるとしてA氏を代表取締役社長から解任した。取締役としての地位は保持していたA氏であるが、反社会的勢力からの危害を恐れ、急遽ロンドンに帰国し、フィナンシャルタイムズのインタビューを受けて損失隠し疑惑について話し、英国重大不正捜査局に通報した。X社は情報漏洩を理由にA氏に損害賠償請求をすると大手報道機関に語った。X社の株価は急下降し、会長は辞任、A氏も取締役を辞任した。その後の第三者委員会による調査で損失隠しが発覚し、X社は有価証券報告書虚偽記載により刑事上行政上の処分を受けた。会長は有罪判決を受けた。A氏は不当解任を理由に、報酬10年分の損害賠償を求め、ロンドン雇用裁判所に提訴した裁判でX社と和解し、約4年分の報酬(£10M)を受領した。この和解成立から4年後、A氏がY社から受領する年金(£64M)を巡って、自らに有利になるよう画策し、その意図を取締役会に隠していたとしてY社はA氏に裁判を提起したが、3年後A氏が勝訴した。英国重大不正捜査局は、英国内で行われた損失隠しについて捜査したものの不成功に終わり、2年後に捜査終了した。なお、記事をスクープした雑誌に情報提供したのはX社経理部社員C氏であったが、C氏は報復を恐れて自らは記者と接触せず、別の内部通報案件で既にX社との関係が悪化していた営業マンB氏に情報を託したものであった。

この事例を公益通報者保護法改正法案に当てはめると、A氏はどのような保護を受けるだろうか。通報対象事実があると「思料」して、まず会長その他の役員に内部通報を行ったA氏の行為は、1号通報の保護要件を満たすだろう。企業は公益通報者に不利益取扱いをしてはならない(5条3項)。X社によるA氏の代表取締役社長からの解任は、不利益な取扱いに当たるので、できない。しかし、X社はA氏を取締役から解任することはできる。会社法339条1項によれば、株主総会決議で企業が役員を解任するのは自由だからである。解任された後は、同条2項及び公益通報者保護法7条が定める、損害賠償請求(残存期間の報酬等)が残るのみである。

A氏のフィナンシャルタイムズへの外部通報が、保護要件を満たすかを検討する際には、PWC調査報告書が大きな意味を持つ。報告書の内容は、通報対象事実の発生をA氏が信ずるに足りる相当の理由を裏付けている、と言えそうだ。PWCによる調査は調査是正措置としては十分であろうか。会長は更なる調査を拒み、取締役会も会長に同意して、A氏を代表取締役社長から解任した。A氏はまだ取締役であり続けるが、全取締役会が反対に回った以上、それ以上に調査したり是正措置を講じたりすることは実質的に無理である。調査是正措置要件も満たすと考えたい。そして、会長がA氏の監査法人への通報に反対したため、特定事由も認められる。A氏は3号イ 通報の保護要件を全て満たすだろう。

3号ロ通報の保護要件は満たすだろうか。個人の生命、身体若しくは財産への被害に言う「個人」として、まず思い浮かぶのは、公益としての個人だろう。有価証券報告書虚偽記載が通報対象事実である場合には、「個人」とは財産的被害を受けた投資家・株主を意味し、損害は発生している。しかし、公益通報者自身の生命、身体への急迫の危険を忘れることはできない。公益通報者自身もここで言う「個人」に該当すると解されるべきと考える。公益通報者が入手した情報が公になると困る者から危害を受けるのではないかと、公益通報者が感じる場合に、身を守る唯一の手段は、情報を公開することである。バーニー・マードフによるポンジースキームを見抜いたハリー・マルコポロスは、SECに通報しても取り合ってもらえず、証券業界の重鎮であるマードフの、顧客の一部であるマネーロンダラーからの危害を恐れ、拳銃を所持し、自動車に乗るときは車体裏に爆弾がないか確認をしていたそうである。A氏はこの点でも3号ロ通報の保護要件も満たすと考えたい。

興味深いのは、英国重大不正捜査局への通報が2号通報の保護要件を満たすかどうかである。A氏が日本の捜査当局へ通報すれば行政機関等への通報(2号通報)として保護要件を満たすであろうが、外国の行政機関等への通報が対象内であるのかは、不明である。この点、大企業であれば、公益通報者保護を規定する社内規程は、海外子会社にも適用される。海外子会社の社員が行う外国の行政機関等への通報もまた、社内規程により保護されるだろう。だが、この社内規程を企業役員にまで及ぶとしている企業は、それほど多くないだろうと推測できる。

以上をまとめると、少なくともA氏は、内部通報(1号通報)及び報道機関等への通報(3号イ 及びロ通報)に関連する保護要件を満たす。しかし、A氏からX社への損害賠償請求にはもう1つ問題がある。A氏はX社の取締役から解任されたのではなく、辞任しているのである。A氏はロンドンの雇用裁判所で和解に至っているが、もし日本の裁判所に公益通報保護法や会社法を根拠として、損害賠償請求する提訴を行った場合、各法各条の「解任」に、「止むを得ずなした辞任」が含まれるかは、1つの争点をなすだろう。

X社は情報漏洩に起因する損害賠償を請求する裁判をA氏に対し起こすと言ったが、公益通報者保護法7条は、6条の保護要件を満たす公益通報者に対し、公益通報によって受けた損害の賠償を請求することを許さない。被通報社から公益通報者に損害賠償請求の反訴を起こすことは珍しくない。この損害賠償請求には(a)情報取得を問題にするもの、(b)情報漏洩を問題にするものの、2種類が考えられる。公益通報者は、業務上自然と入手する情報によって最初に通報対象事実の疑いを持つ。そして疑いが深まる中で、公益通報するために、アクセス権限のない情報にアクセスしたり、入手した情報を業務目的以外に複製したりする必要に迫られることがある。これを問題視するのが(a)前者である。また、公益通報を行えば、企業の評判は傷付き、小さからぬ損害が生じる。これを問題視するのが(b)後者である。7条は(b)後者だけをカバーしているように読める。調査会報告書も「4 通報を裏付ける資料の収集行為に関する責任」と「13 通報行為に伴う損害賠償責任」とを分けている。7条は(b)後者だけをカバーするものとし、(a)前者の情報取得行為は、そのうち相当なものだけが、個別裁判の中で一般法理により保護されるという取扱いに委ねる趣旨のようである。

X社が年金に関連してA氏に損害賠償請求訴訟を起こしたことは、A氏の公益通報とは関係のない事項であり、7条に違反するとは言えない。公益通報したことに対するX社からの報復措置だとA氏は捉えるだろうが、濫訴と言えるような裁判であれば格別、提訴を止めることはできない。余談であるが、オリンパス におけるウッドフォード氏の年金は、取締役を退任した後に受け取る報酬であるという点において、日産カルロスゴーン 氏の将来受ける報酬の過少記載事件と類似点がある。ウッドフォード氏は、オリンパス の曾孫会社キーメッド において、従業員を経て取締役に就任し、30年以上働いており、年金額が高額であることはキーメッドの年金プランによるものであり、問題ではないらしい。他方で、ウッドフォード氏がオリンパス の代表取締役であった、2012年3月期の(訂正前)有価証券報告書には、基本報酬101,074 千円、賞与38,000 千円の報酬開示があるが、役員退職慰労金に記載はない。曾孫会社における従業員時代の勤続期間も含むものであり、開示義務の対象になるのか、必ずしも明確ではない。しかし、日産カルロスゴーン 氏の報酬過少記載が問題なのであれば、ウッドフォード氏の年金(£64M)の不記載も、問題ではなかろうか。

以上、オリンパス 事件を参考に、現実に起きた事件に近い設例で、公益通報者保護法改正法案が企業役員の公益通報をどのように保護するか、概観してみた。外国の行政機関等への通報が保護されるのか、解任でなく辞任に追い込まれた場合は保護されるのか、不分明な部分が残った。特に、前者の点は、企業の活動がグローバル化している今日、国外で通報対象事実がなされたり、国外で公益通報を行う方が効果的であったりする場合もあり得、興味深い点である。以上

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